川の先に君はいるだろうか
源氏物語・宇治十帖(13だけどね!)のラストは
想像にお任せなのか、式部が疲れたのか、
実は続きが有るのに消失してしまったものなのか…
さて。
ラストは原作だと
「薫はこのように邪推してしまう程今なお浮舟を…」
のようになっていますが
"あさき"だと、二人の想いが仏の道へ繋がる感じ、
宇治川が人生の川のように流されています。
後者のほうが古典らしい、"物語"的な終わりのように
感じるのですが、そんなことはないのでしょうか?
(現代発見され得た限りでは)実際の古典原本よりも
想像を加えた現在のコミックである"あさき"の方が
古典的に感じるというのは
何か不思議な気もしますけれど
まぁ現物より"現物らしく"造ったものの方が
大げさに「らしく」なるというのは
言うなれば当然、自明のことなのでありましょう…。
で、ですよ! そこで思うのは!
いえね、前フリの割に関連性の薄い事柄で
申し訳ないのですけれどね、
私的には"あさき"の宇治川を使った締めくくり、
好きなんですよ。
勿論、多様な解釈と共にもっと良いラストが
生まれる可能性は源氏物語に魅了された
人々と年月の数だけありそうなものなのですが…。
しかし、違う道を歩めどこの川の続く先(海)で
一緒になれるかも…(御仏の元で)という解釈をすると、
ある歌を思い出しませんか。
百人一首のアレみたいだと私は思うのですが。
…このフリ方、升野先生みたいだな私…
まぁ、率直に言いますと、
『瀬をはやみ 岩にせかるる たきがはの
われても末に 逢はむとぞおもふ』
ですね(でしたっけ?どこか違ったらすみません)
やはりよくある思想だったのかなぁ、なんて
この時代別れというものは永遠ではないんですね
心のどこかでいつかまた逢えると信じられる、
それを拠り処に出来るんですねぇ…
まぁ今でも少しあるけどね。
実際、生まれ変わりの有る無しは断言できません
私も。
…ふぅ。
そういえば『人柱はミイラと出会う』っていう
本を読んだんですけれど、
フィクションなサスペンス、なかなかに面白いです。
ふふ。
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